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ほぼ満員御礼 [イベント・行事]

1月26日(日)に、第30回しもごうまつりを開催いたしました。
1週間前から毎日天気予報とにらめっこしつつ念じてきましたが、当日はあいにくの小雨。付け焼刃的に作った雨天時シフトでの開催となりました。

普段とは出展のレイアウトが大きく変わり、朝の準備からかなりわちゃわちゃしました。ペーパー上では出来ているものの実際にやってみなければどんな不都合が出るか想定しきれない出たとこ勝負。そして何より、雨の中わざわざ来てくださるお客様がどれほどなのか。

10時から開会式のところ、9時50分時点で会場には関係者しかおらず、こりゃあ今年は閑古鳥だな~と覚悟しましたが、ふたを開けてみればいつもより若干出足が遅かったものの雨天とは思えない数のお客様にお越しいただき、食品関係の出店はほぼすべて完売しました。“雨ですけどしもごうまつりやってますか?”というお問い合わせのお電話も何件か頂きましたので、『雨天決行』をしっかりと周知しておくべきだったというのは改善点。

障がい福祉関係の仲間もたくさん来てくれたし、元スタッフも何人か来てくれたし、よい一日でした。

しもごうまつりはいつもだいたいお天気なので、今回もギリギリセーフかなと甘い期待を持っていましたが、雨天時プランを作り、それを実施したことで得られたこともたくさんありました。結果オーライいなるよりも学びの多い行事だったことを思うと、降ってくれてよかったかな。

いろいろ勉強になりました。

開催にご協力いただいたいろいろな団体のみなさま、ご来場いただいた皆様、どうもありがとうございました。
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第30回しもごうまつり [イベント・行事]

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1月26日(日)10:00~

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こんなやつがお待ちしています。 みなさま、ゼヒ。


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映画の宣伝 [所長の部屋]

宣伝です。
いま、黄金町のジャック&ベティという映画館で
『だってしょうがないじゃない』
という映画をやっています。
ドキュメンタリーですが、吹いたりうなったりずっこけたり、とても面白いです。
ぜひ観てください。
主人公は軽度な知的障害があるマコトさん61歳、母と死別後は昭和な平屋でひとり暮らし。
本人も周りの登場人物もキャラが立ってて最高です。
笑って、ほっこりして、それからう~んと考えさせられる作品です。わたくしは自分の立ち位置(=支援者)の危うさや凶暴性をあらためて感じました。
作品のウエブサイトはこちら←クリックするとリンクが開きます

なお、DVD化の予定はないとのこと。
見逃し厳禁、劇場へ急げ!

とかいって、この界隈の人ならそのうち上映会とか学習会とかでタダで観られたりして


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裁判が始まりました [時事]

新年はじめてのブログです。おめでとうございますとか、本年もよろしくお願い申し上げますとか、近所の熊野神社に初詣に行ったら第2しもごうの面々と第3しもごうの面々も来ていて、新年早々勢揃いしたぞとか、そういう記事をかくべきなのですが、やはりこのことを書かなければならない。

2016年7月に起きた津久井やまゆり園での凄惨な事件についての裁判が始まりました。

まずはじめに、犯人が今でも固執しているとされる考えが全くの論外であるということをはっきりしておきたいと思います。論外です。

そのうえで、大切なことが二つあります。

一つ目は、『もしかしたら、自分が彼だったのかもしれない』と想像することです。彼が固執している考えは論外ですが、その考えに至る入口は誰もが心のなかに持っています。彼はその入り口を入って、いろんなものに押されて、行き止まりまで進んでしまった。自分はそこまで進んでいないけれど、それは幸運にも押されることがなかったか、押し返してくれるなにかがあったかに過ぎないのです。

二つ目は、『もしかしたら、自分が彼らの中の一人だったのかもしれない』と想像することです。誰かの論外な価値観のもとに抗うすべもなく命を絶たれることの理不尽さ。この事件の犯人にとってはそれが偶然ハンディキャップの重篤さであっただけで、“日本人だから”とか“男性だから”とか“右利きだから”とか、そういうことだったかもしれないのです。

二つのことを通じて、つまり、これはあなたのことであり、わたしのことであり、あなたのすぐ隣にいる誰かのことなのです。今回の事件を、特異な人物が特別な人たちを殺傷した特殊な事件だと思ってしまったら、また同じことが違う形で繰り返されます。内なる彼を押し返し、たくさんの彼らを支えること。そのために、微力を尽くさなくてはなりません。

それから、犠牲者が匿名の記号で呼ばれることに強い違和感を覚えています。亡くなったのは『甲A』という人ではありません。ご遺族の意向を汲んでと報道されていますが、ご遺族がそう願わざるを得ない圧力や偏見が社会にあって、その圧力や偏見はそのまま彼を犯行に至らしめる力でもあったのだと思います。

一方で彼の氏名や写真が繰り返し報道されることにも強い違和感を覚えます。これについては単純にうんざりだ、という感情もありますが、彼を偶像にしてはならないという思いでもあります(ニュージーランドでムスリムが集うモスクで銃の乱射があったときに首相が“犯人の名は二度と口にしない”と言っていたのが印象に残っています。

新年早々どんよりした記事ですが、障害児者支援に携わるものとして、ずっと考え続けなければならないと思っています。
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