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判決 [所長の部屋]

津久井やまゆり園事件をめぐる裁判で横浜地方裁判所の判決がありました。

わたくし甘糟は死刑制度そのものに反対です。が、そのことはひとまず措いて。

報道を追う限りでは、この裁判は犯人の責任能力を認めるかどうかが判決の焦点だったとのことです。
その意味で、死刑判決が下ったということは本人に責任能力があったという判断が下されたわけです。言い換えるなら、犯人の行動には犯人にとっての合理性があった、ということです。妄想でも幻覚でもなく、彼には考える力があり、その考えに沿って行動しようという意思があった、と。

そうであるなら、その考えを彼はいったいどこから学んだのか。
なぜ彼は生の価値に優劣をつけ得ると考えるに至ったのか。
なぜ命を値踏みしたのか。
彼に考える力があり、その考えに沿って行動する力があると認めたなら、なぜ彼がその考えを抱くに至ったのかを、ちゃんと突き詰めて欲しいのです。

そう考えて、ふと見渡せば、われわれの周りには命を値踏みする発想が張り巡らされています。『勝ち組』などという集合名詞や公的扶助を蔑視する言動が何食わぬ顔で流通している社会。

この事件を、特異な人間が起こした猟奇的な事件として落着させてはならない。今我々が生きているこの世の中には命の価値の多寡を見積もる風潮が確かにあって、その風潮がこの事件の通奏低音として響いています。それをちゃんと糾弾しなければいけない。それを怠れば、この判決は命の価値になんらかの線を引いて命を奪った者の命を奪うという自家撞着に堕します。つまり、犯人の『命の価値になんらかの線を引き、その線から出ていると判断した者の命を奪った』というロジックと行為を罪としつつ、その彼を死刑にするということもやはり『なんらかの線を引き、その線から出ていると判断した者の命を奪う』ということであり、犯人のロジックを断罪しつつ結局はそのロジックを踏襲して犯人の命を奪うことであって、これは矛盾です。

そう考えつつ、思い出すのは事件の一報に接した時のこと。

わたくしはとっさにしもごうのメンバーのみんなのことを考えました。あのようなことがもしもしもごうで起こったら、と。そして強い憤りを覚えました。
“殺されたり、重傷を負ったりしたのがしもごうのメンバーのみんなであったら”、と。
殺されたり重傷を負ったりしたのが自分だったら、とは考えなかったのです。どこかで、自分と“彼等”を分けている。自分のなかにも犯人と同じような線引きがあることを突き付けられました。そして、自分の中にその線があるなら、もしかして環境や出会った人が違えば自分が彼だったのかもしれない、と。

ぞっとしました。

おそらく世の中の多くの人はこの事件を他人事ととらえています。犯人は特異な人物で自分は特異な人物ではない、と。けれど、大多数の人は心の中に彼と同じ線を持っているし、だとすれば自分が彼だったのかもしれないのです。

おそらく世の中の多くの人はこの事件を他人事ととらえています。被害者は『重度障害者』であって自分は『重度障害者』ではない、と。けれど、なにかの線が引かれているということを認めてしまえば、その線を誰かが動かしたときに、自分もその線の外に置かれてしまうかもしれないのです。

もしかしたら自分が彼だったのかもしれない。そしてもしかしたら自分が彼らのうちの一人だったのかもしれない。そう想像し続けるしかないし、そうし続ける必要があります。ず~っと。

*3/17 誤字と形容をちょっとだけ手直ししました





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MOCO

障害がある子(成人)の親です。ここ数か月、コロナで自粛、子どもの生活リズムを壊さないように毎日を過ごしていました。初めは、むしろ、スケジュールに追われなくなったことを爽快に感じ、こんなことに負けない、と、ばかリ、張り切っていましたが、1か月の約束のGW明けが過ぎ、更なる自粛が始まったころからいろんなことがめんどくさくなってきました。自分の好きなこともできず、時間を潰すだけ。張っていた糸が一度緩むと、自分が疲れている事に気が付きました。毎朝、楽しみを見だせなくなり、散歩に出かける時の虚無感に悩まされました。子どもは宝物で、大切で、自分の知らなかった色々な事をもたらしてくれたのは事実です。が、ずーーーっと一緒はきつかったです。やまゆりの犯人は、施設職員や親が知っているそんな疲れを一気に解決してあげよう、半ばヒーローのような気持ちで殺人を行ったのか。だから、逮捕されてもあんなに堂々としていた。とも思えました。みんなで少しずつ分けて負担するから、余裕も生まれ、大切に思え、幸福な意味づけができる。
今のコロナの自粛は期限との兼ね合いになるのか。どれだけ耐えられるか。Aさんは3か月、Bさんはずっとでも大丈夫、Cさんは介護もしてるから家庭の体力ない。Dさんは子供の行動がしんどすぎる…親にも子どもにもほころびが出てきても、修正可能なうちに新しい解決策が生まれてほしいです。
by MOCO (2020-08-01 22:13) 

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