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ブログ、読んでるわよ [所長の部屋]

最近すっかり滞っていますが、ブログは書いた方がいい。
なんというか伝えたいことがちょっと拡がるような。
思いもかけない人が読んでくれていたりして、“ブログ、読んでるわよ”なんて言われてビックリすることもある。

そんな風にビックリさせられた人の一人が三橋さん。

三橋さんは当事者の親というお立場で栄区の機能強化型地域活動ホームの運営に長くご尽力されるかたわら、活動ホーム連絡会の会長として有象無象を取りまとめる文鎮のような役を長く担ってくださいました。

いわゆる従来型活動ホームの時代からメニュー事業・機能強化・法人化、連結連合と活動ホームを取り巻く状況は激変してきました。そしてその背景となる制度についても市の単独事業から支援費支給制度・グランドデザイン・自立支援法・総合支援法という激動続き。活動ホーム連絡会の会員(つまり各活動ホームの所長)は個性の強い面々が揃っていて、何かあるたびに『活動ホームはなんのためにあるのか』なんてああでもないこうでもないと終わらない議論を繰り返してきました。そんな議論にいつも最後まで耳を傾け、そして大切なこと、守らなければならないことは何なのかを伝え続けてくれた三橋さん。“兄弟児の面談のために、障害がある我が子を柱に縛って出かけたことが忘れられない”というお話を伺ったこともあります。いつもおだやかで、朗らかで、何かを無理強いすることは無く、けれど何を譲れないかは確かにわかっている。

そんな三橋さんからいつかなにかの用事で電話がかかってきて、用件が終わった後にふっと思い出したように“ブログ、読んでるわよ”と。

なんて答えたのかは覚えてないけど、とにかくこれはいい加減なことは書けないぞ、と身が引き締まる思いをしたのは覚えています。

で。

そんな三橋さんが亡くなったと聞いて、こないだの土曜日にさかえ福祉活動ホームでお別れ会がありました。特にセレモニーがあるわけではなく、献花台があって、生前の写真がたくさん並んでいて、ゆかりのあった方々がそこここで思い出話に花を咲かせている、そんなアットホームな集まりでした。

なんというか、こうして道を切り開いてきた人々が少しずつ去ってゆくのをこれからも見送るのだろうと思います。ちゃんとバトンを受け取れているのか、ちゃんとそのバトンを次の人たちに渡すことができるのか。


ご冥福をお祈りいたします。


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7月26日 [所長の部屋]

今年もこの日がやってきました。

先日、区の自立支援協議会の全体会で虐待防止をテーマに講義をしていただきました。お話をしてくださったのは他区で長く障害福祉に携わってこられて、今は9か所あるグループホームを統括する立場で仕事をされている方です。そのお話の力点のひとつが「虐待は実際に虐待をした職員だけの責任ではない。支援者を虐待の加害者にしてしまう組織や管理者そのものに問題がある」という考えでした。
*正確には、個人の資質ではなく仕組みで虐待は減らせる、という前向きなお話です

やまゆり園で起こったことにも、たぶん通じるのだと思います。障害がある人を支えることを仕事にしようと思って現場にいる誰もが、何かが間違っていれば加害者になりうるのであって、実際に何かをした誰かのせいにして、その人の責任や罪を問うても、解決できることはほとんどありません。

講義のあとのグループワークで、『あの事件で悪かったのは誰なのか』というテーマで意見交換しました。もちろんみなさん“犯人はもちろんだが、犯人がそうしようと考えるに至ったプロセスでだれがどんな影響を与えたのか考えるべき”と言っていました。言うなれば模範解答です(こういうグループワークってえてして模範解答になりがちです)。

わたくし自身は、誰が悪かったのかと問われたら、それは自分であると答えます。犠牲になった方々がご本人の意思を脇に置いて人里離れた収容施設で生活していたことはどうしてなのかといったらそれは『社会』がそれを是としたからであって、自分もまたその社会を構成している一員なのだから。特異な個人のせいということで終わらせず、背景にある法人の体質そのものを問うていくべきという問題提起もなされていて、それはもちろんそうだけど、それって結局もうひとつ視線を手前に置けば特異な法人の体質のせいということで終わらせて背景にある『社会』全体のありようがもたらしたという点から目を逸らしているに過ぎない気がします。

ありえないことですが、もし自分があのとき職員としてあの場にいて、拘束されて、『犯人は重度障害者を殺そうとしている』と気づいたとしたら、その時に自分はどう感じたのでしょう。多分、心のどこかで、助かった、と思ったのでしょう。

線を引いてはならないし、そもそも線など引けない。そう唱え続けながら、自分の中に依然としてある線を薄くし、消そうとし続けるのみです。そして、自分の中にある線を薄くし、消してくれるのはやっぱりうちの利用者のみんなとの時間なのです。
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続々;梅切らぬバカ [所長の部屋]

というわけでまたまた映画の話題。
公開が今週末に迫り、オフィシャルサイトでは新しい動画も見られたり。テレビや新聞などあちこちで加賀まりこさんや塚地武雅さんを見かけたり。ついでに監督の和島さんも見かけたり。盛り上がってまいりました。

物語の中に乗馬クラブが出てきますが、わたくし乗馬クラブと言えば忘れられない思い出が。

TEAM3で長く活動をしていることもあり、ときどき『災害時の障害者支援について』というようなテーマでお座敷がかかることがあります。で、数年前に市内某区のとある地区社協にお声掛けいただいたことがあったのですが、ちょうどその時その区では障害者グループホームの建設反対運動が行われていて、幹線道路沿いに目を覆いたくなるような文言の看板が掲げられたりしていました。で、その反対運動の中心になっていたのが乗馬クラブでした。

『災害時の障害者支援』について、わたくしがいつもお話しするのは“災害時に障害者にとって最も大きな力になるライフラインはネットワーク(=つながり)である。だからまず普段のなんでもないお付き合いが大切で、そのなんでもないお付き合いが非常時に活きる。「災害があったらどうしよう」と考える前にまず日常の中で顔見知りになっていこう”ということです。で、この時のお話では最後に思い切って“普段から障害がある人たちが活き活きと過ごせる地域では、グループホーム反対なんていう理不尽な運動も起こらないのでは”と言ってみました。集まってくださっていたのは主に地区社協の役員さん、つまり地域の顔役的な方々なので、もしかして反対運動にかかわっている方がおられたりしたら修羅場だぞと覚悟しましたが、反対運動のニュースを知ってからほんの2~3日だったこともあり、ひとこと言わずにはおれなかったんですね。幸い修羅場にはならず、そうだよね、ということで終わりました(そこにおられた皆さんはどちらかと言えば運動には批判的でした)が、わたくし的にはけっこう勇気を振り絞ったひとことでした。

和島監督が敢えて『乗馬クラブ』という設定をそのまま映画に持ち込んだのを観て、あのときのことを思い出しています。わたくしの発言はその場で消えてゆくようなものですが、作品として形が残るのを承知でこの設定を選んだ和島さん、勇気あるな~



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続;梅切らぬバカ [所長の部屋]

というわけで『梅切らぬバカ』、試写会に呼んでいただいて公開より少し早く観ることができました。

具体的な内容についてはいわゆるネタバレを避けるべく触れませんが、すごくよかったです。

別に手に汗握るようなアクションも衝撃のどんでん返しもないし、感動のハッピーエンドでもありません。ところどころに映画ならではの描写がありますが、全編を通じて淡々とした物語です。だから、タイタニックとかアナ雪のようにヒットしたりはしないでしょう。でも、だからこそ、だれが観ても、ああ、自分はこの中の誰かなんだな、と感じることが出来る、そういう手触りのある作品だと思います。和島監督が“ドキュメンタリーやノンフィクションでは触れることが難しいテーマに、フィクションだからこそ迫れるのでは”と言っていた、まさにそのとおり。善も悪も、正しい人も間違った人も出てこない、わたしたちをとりまく日常の物語であり、エンドロールが終わってもずっと続いてゆく物語。

というような文章を読んで、まあ別にあんまり興味ないし観なくていいかな、と思う人にこそ見て欲しい映画です。横浜では11/12(金)公開。もう一回ちゃんとチケット買って観に行こうと思います。

ちなみに、およびいただいた試写会は制作にあたって協力したみなさんが招かれたとの事で、客席は障害福祉関係者および当事者の親が大半。監督が“今日の試写会が一番緊張します”って言ってたけど、まあ、そうだよね。





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共通テーマ:映画

梅切らぬバカ [所長の部屋]

なんと2ヶ月ぶりの更新。これではブログがある意味がない。なんとか頻度を上げないと。

というわけで、コロナのバカについてはひとまずおいて、今日は『梅切らぬバカ』という映画について。

2018年の秋に横浜で『てんかんをめぐるアート展』というイベントの運営にかかわったときに、その記録映像を撮影・編集してくれた和島香太郎さん。名作『だってしょうがないじゃない』でも編集を担当されたクリエイターの彼が監督・脚本を手掛けた作品です。映画を撮るんだ、という話は聞いていて、じゃあ出来上がったら観に行くよ、なんて言ってたのですが、正直インディーズ系っちゅうかマイナーっちゅうか、ジャック&ベティで観るか自分たちで上映会やるかぐらいの感じだろうと想像してたところ、まさかのシネスイッチ銀座やらブルク13やら大層なところで観られるみたいで。出演されているのも加賀まりこさん、ドランクドラゴン塚地さん、林家正蔵さんに高島礼子さんと自宅にテレビがないわたくしでも知っているビッグネーム。

和島さんはてんかんの当事者であり、てんかんをめぐる啓発活動として『ぽつラジオ』というYoutubeチャンネルもやっています。これがまた毎回聴きごたえがあって考えさせられて、特に自分のご両親をゲストに迎えた回なんかは必聴です。

映画『梅切らぬバカ』オフィシャルサイトはこちら、←クリックするとリンクが開きます
Youtube『ぽつラジオ』はこちら←同

どちらも、よろしくお願いします。

『梅切らぬバカ』、実は未定稿の時に何度か脚本を読ませて頂きました。また、“『だってしょうがないじゃない』では追うことのできなかったテーマにフィクションという様式で迫りたい”という思いも和島さんご本人から伺いました。そんな縁で、たくさんの方に観ていただきたいなぁ、と思っています。


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備忘録 [所長の部屋]

さてさて。

あいかわらず新型コロナウイルス対策の日々。
しもごうとしては
・手洗い、手指消毒
・マスク着用(不織布を推奨、ウレタンマスクは避ける)
・対人距離の確保、そのための目印を設置
・パーテーションの設置
・換気
が主な対策で、特に換気に力を入れています。できるだけ窓を開けて、換気扇を稼働させて、空気を動かしています。送迎車も基本的に窓は全開にしていて、運転しながらルームミラーを覗くと乗車しているメンバーがみんなTMレボリューションみたいな感じです(ドライバー自身もおそらくそういう感じ)。

一方で、コロナ対策として始めたけれどやめた、または簡素化した、という事項もいくつかあります。例えば、うがい。そもそも飛沫の発生につながりやすい行為だし、誤嚥などの心配もある。流し台を共用しているので人の動きがそこで滞る、など、デメリットの方が多いと判断しました。同様に、備品や設備の消毒については『感染は飛沫・エアロゾルが主たる経路で、接触感染は頻度として非常に低い』という最新の知見に基づいて頻度を減らしました。

必須の対策、やった方が良い対策、やるに越したことはない対策などなど、対策と言ってもいろいろあります。余力があれば全部やればよいのだろうけど、有限なリソースで持続的な対策をするためには、時々振り返って『これはやめる』という判断も必要だと思います。そして、この判断は『これをやる』という判断よりはるかに難しいのです。

こういうことってコロナだからあれこれ悩んでることなんですけど、仕事全体にも言えることなんだろうな、と思います。そういう意味で、今はすごく色んなことを学んでいるのだと思います。














というか、そうとでも思わなきゃやってらんない。


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無意識 [所長の部屋]

毎度の枕ですが、今年はコロナであれもこれも様変わり。戸塚区内の障害福祉関係の有象無象の集まりである地域自立支援協議会の活動も思うようにできず。例年は大きな会場にたくさんの人が集まっていろんなテーマで勉強する全体会も、今年はリモート開催でした。で、リモートなりに学びの場にしようということでテーマは虐待防止。そしてなぜかわたくしが講師を仰せつかりました。

わたくしがお話ししたのは、要するに支援者って思い込みや無意識や無自覚に支配されがちでほんと危ういからいつも自分で自分を点検しなきゃねっていう内容でした。

で、

自分の言いたい事って自分ではなんとなく掴んでるんだけど、それを共有可能な言語で表現して(言語表現が共有可能かという哲学的な問いはひとまず措きます)、受け取ってもらって、あわよくば共感していただいてなんて、まあまあむずかしい。おせっかいなことに見逃し配信的な動画になっていて、それを見て自分でガッカリしたりして。

それが一か月ぐらい前のこと。

そして今日、仕事前にスマホをいじくってたら遭遇した、とあるお医者さんのブログ。

脳だけが旅をする『病理の話(512) 無意識に差別してしまうことがある』←クリックするとリンクが開きます

『そういう目線(中略)から自由であるためにはたぶん言語化が必要だ。「自分が今、差別的な心象を抱えている」ということを自覚してはじめて修正できる』

もうホントその通り。こういうことをこういう風に伝えたかったんです、わたくしも。JAFのガテンなおっさんはタバコ吸ってるに決まってるっていう思い込みとか、笑えて頷けるたとえ話を引用したりして。

このことについてわたくしなりに付け加えれば、「自分が今、差別的な心象を抱えている」ということを言語化するためには「自分は差別的な心象を抱え得る人間である」という自認が前提として必要で、この前提に立つのがまた当たり前なようで難しい。難しいんだけど、ちゃんとそこに立たないと、だれもがやまゆり園事件の犯人になり得てしまう。その怖さを『支援者』はちゃんとわかっていなきゃなってことです。

ほかにも引用したいところだらけで、全文コピペしちゃう勢いです。

ぜひ上記リンクから読んでください。
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春かな [所長の部屋]

ブログぜんぜん更新できていません。

しかし時は流れ季節は進んでいます。

梅が盛りを過ぎ、いまは木蓮とか早咲きの桜とかが咲いています。そしてミモザ。
個人的にミモザが好きです。

予算とか事業計画とかそのほかもろもろやらなきゃならないことが山盛りですが、どうもなんだか霞がかかったようなぼーっとした、課題の輪郭が見えてこない感じ。

それもこれもコロナのせい。
ワクチンがいきわたるまでは一喜一憂が続くのでしょうか。うーん。

例年なら会議やら勉強会やらでしょっちゅう顔を合わせているよその活動ホームや作業所の仲間たちとも、まれにオンラインで顔を見るぐらいになってしまって、なんとなく離れ小島みたいな気分だったり。

でも、来年度は今年よりよい事業年度になるのではないかと思っています。というか、そうしなきゃなと。
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気になること [所長の部屋]

新年あけましておめでとうございます。
ことしも新コロさんに翻弄される年になるのでしょうか。ちょっとは巻き返していきたいものです。

で、新コロに関連してひっかかっていることがふたつあります。

ひとつめは重箱の隅をつつくような話なのですが。

わたくしがプライベートで発掘活動をしに行く某リサイクルショップ。これまで最大の発掘はアイリーン・グレイがデザインしたサイドテーブルの名作 E1027(新品定価約150,000円)が980円でした。ほかにも新品定価約20,000円のジーパン980円が半額セールで490円、買って履いてポケットに手を突っ込んだら1000円札が入ってたとか、いろいろあります。

そのリサイクルショップ、『当店では新型コロナウイルス感染症対策として、従業員は出勤前に検温を行い、37.5℃以上の場合は出勤を見合わせております』という店内放送が流れているのですが…

いや37.5℃以上あったら普通に休もうよ。それを新コロ対策って言っちゃうのはどうなの?

っていうのがひとつめ。これはまあネタみたいなもんですが、ふたつめはちょっと考えちゃう話です。

4月に緊急事態宣言が出た時に『エッセンシャルワーカー』という耳慣れない言葉が流通しました。で、われわれもエッセンシャルワーカーである、と。

これがどうにもこうにも心の中で収まりが悪くて、どうしてこんなに収まりが悪いのだろうとずっと考えてきたのですが、最近ふと思い当たりました。障害者を支援する仕事をしている人をエッセンシャルワーカーと呼ぶときに参照されているのはあくまで旧態依然とした医学モデルであって、『社会モデル』の概念がまるっきり無視されているのです。

医療職がエッセンシャルワーカーって呼ばれるのはよくわかります。だってまさに医学モデルだから。

これってわかりやすく書こうとするとものすごいボリュームの文章になっちゃって誰も読む気にならないっていう自家撞着に陥るので書きませんが(実はものすごいボリュームのものを書いて全部削ってこの文章になりました)、とにかくもやもやがちょっと晴れて、まあまあよかった。

いや、よかったのか?




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弱みは強み [所長の部屋]

新コロの状況は日々アレですが、今日はその話ではありません。

ナショナルジオグラフィックという雑誌(のウェブサイト)で、色覚異常についての連載がありました。で、その最終回がすごく印象深い記事でした。

一般的な色覚に対して、赤と緑が識別できない/しづらいという人がいて、これが遺伝子の異常からきている、ということは知っている人が多いのではないかと思います。赤と緑が識別できないというのは『異常』であり、一般的な色覚に対して言わば『劣っている』と考えがちられですが、今回の記事では、これは実は『ものを視覚でとらえるときの方法論の違い』なのであって、別に劣っているわけではないのではないか、という事が論じられています。さらに一歩踏み込んで、様々な環境に対応して種を保存してゆくために視覚による認知にバリエーションを持たせておくという戦略なのではないか、と。

できないのではなく違うだけ。そして違うということには意味がある。これって『障害』とか『障害者』を考えるうえでも非常に大切な発想なのだと思います。

まあ、なんでこの記事がそんなに引っかかったのかって言ったら、わたくし自身が赤と緑がわからないタイプだからです。漢字テスト、隣の席の女子と答案を交換してまる付けをするという場面で誤って茶色の色鉛筆で〇をつけてしまって、隣の席の女子には泣かれるわ担任の教員には怒られるわ散々な思いをした小学2年生の自分に教えてあげたい記事です。

付け加えるなら、この記事は自分で見つけたわけではなく、わたくしと同じく赤と緑がイマイチな兄から教えてもらいました。

ナショジオの記事はこちら←クリックするとリンクが開きます

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