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監督義務 [時事]

しばらく関心を持って追っていた裁判について、最高裁の判決がありました。認知症の方が徘徊の末に鉄道事故にあったことについて、鉄道会社が遅延や振り替え輸送に伴う損害に対する賠償をご遺族に請求した裁判です。

おおむね筋の通った判決だったと思います。離れて暮らす息子さんや91歳の奥様に監督責任を要求するのはいくらなんでも無理筋。

ただ、新聞各紙やニュースサイトを読み比べてみるとそれぞれ注目点や評価、留意すべき事柄などが様々違っているなか、『事実上の監督義務者の役割を自ら引き受けたとみるべき特段の事情がある場合は、責任が問われることがある』という記述などは、やや気になる点。当事者を支えようとコミットメントを強めたことでかえって『監督責任』を問われてしまうというのは矛盾のように感じます(兄弟で仲たがいして“オレはおふくろの面倒なんか見ねえぞ!”⇒セーフ、“上等だよ!俺が面倒見るから絶対口出すなよ!美穂子(妻)もパート辞めてお義母さんと一緒にいるって言ってくれてるしな!”⇒夫婦ともにアウト、みたいな)。←フィクションです

徘徊というのは障がい児者の家族や支援者(われわれ)にとっても他人事ではありません。しもごうにも『この人がいなくなっちゃったから見たら教えて~』という通知はわりと頻繁に、かなり広域から寄せられます。そんな迷い人が誤って鉄道線路に入ってしまって事故になるというのは充分に考えうることですし、それで厳しく責任を問われるのでは家族や支援者としては安全を担保するための『拘束』に向かわざるを得ません。かつて『精神薄弱者』と称され座敷牢に閉じ込められていた、そんな決して遠くない過去の状況が今回の判決如何によっては再現されかねないところだったと思います。

ケアの社会化が叫ばれて久しい一方で、貧困問題に代表されるように本来は社会的に解決されるべきことがどこまでも個人の責任に帰せられてしまう風潮は近年になって帰って強まっているように感じられるなか、いろいろと考えさせられる裁判でした。地裁・高裁での不当判決(主観ですが)が最高裁で覆ったのは久しぶりだな~と思います。さらにいろいろと考えさせられる安永健太さんの裁判(←クリックするとリンクが開きます)では納得のいく判決は期待薄ですが。


ちなみに雑感なんですが、なんていうか現行の民法における家族の位置づけ・意味づけってさすがにそろそろ社会の現状とのギャップが厳しいんじゃないかな~と思います。現行の憲法について社会の現状にそぐわないから変えるべきという人たちがいますが、そういう人たちに限ってさらに時代にそぐわない民法の家族観を無批判に支持していたりする傾向があるような気がするんですが、気のせいでしょうか。

あと疑問なんですが、道路に飛び出してバスに轢かれたらバスの運転手が責任を問われるのに、電車だと飛び出した方が責任を問われるのはなんでなんでしょうか。



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