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ことばの意味 [所長の部屋]

桜もそろそろ終わりかな。

しもごうのある横浜市は障害福祉にかける予算がわりあい多くて、国が全国標準で定めている制度の他にも市が単独で要綱を定めている事業がたくさんあります。そのため、『進んでいる』と評されることがしばしばあります。

それはそれでよいことだと思います。最近は市単の事業が縮小傾向にある気がしますが、それはそれとして、福祉職採用であったりケースワーカーの配置であったりっていうのも横浜にあっては普通のことのように感じますが、ほかの自治体にはなかったりします。

でも、他の自治体にあっても先進的な取り組みはあります。あたりまえですが。

戸塚区と境を接するお隣の鎌倉市では、この4月1日に「鎌倉市共生社会の実現を目指す条例」が施行されました。とても先駆的な取り組みだと思います。

で、雑感。

『合理的配慮』の語義を説明する条文のなかに“市民が日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のもの”という文章があります。ここを“その他のもの”ではなく“その他一切のもの”としているところに本気を感じます。

共生社会という言葉については“市民一人一人が、お互いを尊重し合い、支え合い、多様性を認め、自らが望む形で社会と関わりを持ち、生涯にわたって安心して自分らしく暮らすことのできる社会”と定義しています。個人的にはここに『ひとりの例外もなく』というニュアンスが込められていたらなおよかったのではないかと感じます。

ほかにも、考えさせられること、感じることがたくさんあります。ウェブでいろいろ検索すると素案とか素案の骨子とかも掘ることができて、その移り変わりをたどってみるのも興味深いです。

共生社会とかインクルーシブとか、最近よく見たり聞いたりします。こういう言葉をよく見聞きすること自体を前進ととらえることもできるし、逆にまだまだそれが実現されていないことの表れだととらえることもできます。ただ、いずれにしても大切なのは、『共生社会』や『インクルーシブ』という言葉が何を意味しているのかっていうのをちゃんと具体的に考えるっていうことだと思います。定義づけるっていうのは一面においてはその定義を線として該当・非該当を分けてしまうという危惧もありますが、その危惧を認識しつつも、ちゃんと中身を吟味していかないと、良い香りだけで味のない料理みたいなことになったり、ヘタすれば共生社会を築くためと称する排除が行われたりしかねないのです。

なんてことをつらつら考えながら条文を読んでいましたが、実は前文がいちばん読み応えあったりします(わたくしがサッカーチームの背番号も自分の車の希望ナンバーも13番にしている理由が書いてあります)。条例はこちら(→クリックするとリンクが開きます)から読めますので、みなさまゼヒ。
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