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1年が経って [所長の部屋]

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津久井やまゆり園で凄惨な事件があってから1年が経ちました。

社会に、そして特に障害児者支援に携わる者にとって非常に大きな衝撃を与えた事件。あれから、自分なりにあれこれ考えたり読んだり聞いたりしてきました。

新聞やメディア上の色々な人の意見にはできるかぎり目を通しましたし(特に青土社の雑誌『現代思想』の特集号は考えさせられる論考が多かったです。このような地味な雑誌に増刷がかかったとのことで、たくさんの人がこれを読みたいと思ったのだと思います)、やまゆり園の家族会会長さんのお話を伺う機会もありましたし(1/22『福祉を創る学校』@港南台ひの特別支援学校)、集会にもいくつか参加しましたし(1/26@県民サポートセンター、7/26@戸塚フォーラム)、やまゆり園のみなさまが仮り暮らしをしている芹が谷園舎での地域交流イベントのお手伝いをさせていただいたりもしました。

そうした様々なことの中で、自分なりに考えたことを書いてみたいと思います。

当事者とその『意思』について。
今回の事件を踏まえて『意思決定(支援)』が大きくクローズアップされています。『意思』っていうのはなにか、なにを指しているのか、改めて考えると、意外と難しいです。けれど、『意思』になるまえの(なるかどうかもわからない)心の動きとか、気持ちの塊みたいなものは、誰もにあります。知的な『障害』がどんなに重度であっても、必ずあります。これは、ここをすべての出発点にしようという約束である(1+1=2みたいなもの)のと同時に、長く現場にいる者としての実感でもあります。だから、“意思決定ができない重度障害者”なるものは存在しようがありません。心の動きや気持ちの塊が『意思』として(ある程度共有可能な形で)提示されるためには、その形成プロセスと表出プロセスをどうやって支援できるか、に尽きます。質問―返答という即時的かつ標準的なフォームに乗ることができるかどうかは関係ありません。表情だとか肌艶だとか身体の動きだとか視線の動きだとか、当事者の『意思の表出』はさまざまです。ときには食欲がある、とか、よく眠れている、とか、そんなことが表現だったりもします。表出に時間がかかったり、キャッチするのが難しかったりしますが、それは本質的な問題ではありません。とにかく、心の動きや気持ちの塊はあるのです。

ご家族の想いについて。
ご家族が本人に寄せる想いの量や密度には、いつも敬意を感じます。自分だっていろいろ考えているつもりだけれど、とても及ばないなぁ、と。
ただ、それはひとまず措いて、それでは家族(今回の件をめぐっては特に親)の想いが常に本人の意思と重なるかと言ったらそんなことは全くないわけです。わたしたちは自分の生き方を決めるにあたって親の望みをどの程度参照したでしょうか。親が望むほど勉強しましたか?親が望んでる会社に就職しましたか?お父さん、初めて娘が家に連れて来たカレシは気に入りましたか?。
家族の望みや想いはどこまで行っても家族の望みや想いであって、本人のそれではありません。かつて(今でもなくなったわけではありません)重い障害のある我が子の将来を悲観して心中というような事件が何度もありました。その時に、本人は死にたかったのでしょうか。否だと思います。
今回の件では、特に建て替えをめぐって家族の想いがクローズアップされています。元の規模で再建してみんなで戻ることが家族会の総意である、と。大変な事が起こったときに、とにかくバラバラにならずにみんながひとつにまとまろうと考えた家族会会長さんの判断は緊急対応として非常に的を得ていたと思いますが、1年が経過した今、100人以上の『親』には100通り以上の望みがあるのではないかと思います。これに関して一つ気になるのは、やまゆり園で暮らしておられるみなさんのなかにはご高齢の方がかなりおられて、そういう方(やその親御さん)はまだ『地域生活』を支えるシステムがほとんど皆無であった時代に施設入所という選択をしているわけで、時代とともにまがりなりにも支援の仕組みができてきましたよ、ということをご存知ない可能性があります。実はこんな選択肢もあるのか、と知ったら、また変わってくる部分もあるのかな、と思います。つけ加えれば、ご本人としても20年とか30年とか入所施設で暮らしていて、いきなり『入所施設で暮らし続けますか?それともグループホームに住みたいですか?』って聞かれたって困るはず。ラーメンとバクテーどっちが好き?って聞かれてるようなもんです(バクテー(肉骨茶)はシンガポールの庶民に親しまれているスープ、とってもおいしいですけど誰も知りませんよね)。

我々自身のすべきことについて。
われわれは『支援者』という立場で(給料をもらって)障害児者の地域生活にコミットしています。そこには『個別支援計画』なんてものがあったりして、介助だったり、見守りだったり、手伝いだったり、アドバイスだったり、ただ待つことだったり、そんなことをしているわけです。だけど、我々がそういう職務をどれだけ濃密に果たしたとしても、それは今回の事件を防ぐ役には立たなかっただろうと思うのです。『重度障害者』の生の価値を否定するという動機によって我々が支えるべき人たちが命を失ったのだから、我々がすべきことは『重度障害者』(を含むすべての人)の生の価値が肯定される世の中をつくることであるはずです。つまり、運動です。当事者にコミットするとともに、当事者とともに社会にコミットすることにこそ我々の存在意義があるのだと思うのです。別にプラカードを掲げてデモをしようとかっていうことではなくて(してもいいと思いますが)、みんなが作ったなにかを誰かが手に取ってくれることだって、みんなと一緒にコンビニに行ったりファミレスに行ったりすることだって、そういう全てを通じて社会に向かって発信してゆくという意図があれば運動なわけです。

そういうもろもろのことをつらつら考えつつ、じゃあ今日からどうすればよいのか、っていったら、結局のところ『みんなと一緒に一喜一憂しつつ愉快にやっていこうぜ』っていうことしか思いつきません。というか、それに尽きます。要するに『みんなが笑って生きられる世の中に向かっていこう』ということです。
“みんなが笑って生きられる世の中なんて価値がない”と思っている人も含めた『みんな』。


っていうような今まで考えてきたいろんなことを、少し大きなステージで話す機会がありそうだったんですが、あまりのステージの大きさにおののいて自分より適任と思う方(シルエットだけでわかる人にはわかる、冒頭の写真の壇上にいる方です)のお名前を出して逃げてしまいました。
自分なりに考えてきたつもりではあったけど、大きな舞台で自信をもって話すほどには考えられていなかったということなのだと思います。

これからも、考え続けてゆきたいと思います。

おまけとして、なんだかなぁ、と思っていることがふたつ。
ひとつめは福祉なんて税金の無駄遣いだ的な意見(ではなくてただのいちゃもん)を意外と目にすること。税とはそもそも再分配の仕組みなので『弱者』のために多く使われるのは当然のことだし、誰もがバリアーなく生きられるためのハードやソフトを整えることが無駄だと言うのならあなたがまずそれを放棄してくださいって話です(例えば障害児者にとっての移動支援はあなたにとっての道路のようなものですが、あなたがドライブしてる時に“お前がドライブする道路を舗装するのに税金がいくらかかってと思ってるんだよ”って言われたりしませんよね)。
もうひとつ、こちらは真剣に腹立たしい、報道の在り方です。
2~3日前に新聞に、この事件の犯人に現在の心境を尋ねたところ手紙が返ってきた、というような記事が新聞各紙に載りましたが、ここに書く気にもならないような無知と偏見と軽薄さに満ちた彼の主張をわざわざ活字にして改めて衆目にさらすことに何の意味があるのでしょうか。“彼の行動や思想を賛美するような風潮が一部にあることを解決するのが社会の責務”などと言うのなら、なぜそのような行動や思想を改めて喧伝するのでしょうか。ある事件の犯行の動機として一度は報道されるべきことかもしれませんが、1年経って相変わらずですなんて情報にはなんの意義も見出せません。犠牲者が匿名であるのは遺族の意向によると言われていますが、ではなぜ彼の主張など目にしたくないし報道してほしくないという遺族の思いは踏みにじられるのでしょうか。報道することの意味や意義についてもっと真剣に考えてほしいです。

ーすごく力を入れて書いた記事なのにアップしてから読み返したら最後が愚痴っぽいので、ここから加筆ですー

運動について考えるときに、いつも思い出すことがあります。しもごうで働き始めて4年ほどたったある日、横浜市立大学の学園祭のなかで『さようならCP』という映画の上映会があって、それを観に行きました。日本における当事者運動のパイオニアである青い芝の会の活動を追ったドキュメンタリー、完成したのが1972年ですからわたくしと同い年ということになります。かなり挑発的な内容でした(というか社会を挑発するために撮られた作品でしょう)。
上映会と討論がセットになった企画だったので、壇上には出演者(つまり青い芝の会のメンバー)の方が何名かおられて、フロアとのやりとりがありました。学生たちからいくつもの質問があって、それに丁寧に答える姿を見ながら、この人たちはこれをずーっとやり続けてきたんだな~、と思いました。たぶん今日フロアから出た質問はすべて今までの運動の中で繰り返し繰り返し聞かれてきたことで、そのたびに何度でも答えてきたのだろうな、と。そして、思い切って質問してみました。“こうやって長く運動を続けているその原動力は何なんでしょうか”、と。そしたら、すぐに“それは憤りです”と答えてくれました。そして続けて“憤りっていうのは、怒りとは違うんです。わかりますか?”と。壇上から思いがけず質問が返ってきたのにびっくりしつつ“わかるとは言えないけどわかるような気はする”みたいに答えたら、“憤りっていうのは、『義』にかかわることなんですよ”と言われました。
たった二言三言のやりとりでしたが、『義』にかかわること、という言葉がとても重く響きました。そして、そうか、自分の仕事も“『義』にかかわること”なんだな、と思いました。仕事を始めて4年といったら、業務については何となく板についてきて、それでは自分の仕事って芯の部分でなんなんだろうかなんて悩んでいた頃で、その悩みに対してなにか答えをもらったような、ふっと腑に落ちるような感覚になったことが忘れられません。
あのとき答えてくれたのは横田さんだったのでしょうか。あるいは若き日の渋谷さんだったのでしょうか(お二方についてはここ数日の神奈川新聞の特集で触れられています)。それとも、どなたかほかの方だったのか。“『義』にかかわること”。その言葉を、これからも忘れずにいたいと思います。
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