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続・おすすめの本 [所長の部屋]

先日、第2しもごうのブログでお勧めの本について書きました。その続き(というか、読んでドキッとしたこと)をちょっとこちらで。

旋盤工の仕事っていうのは、旋盤という機械の先にバイトという刃を取り付け、材料の鉄を削っていくこと。そのバイトについての描写の中で、ドキッとしたことがありました。

かつての旋盤工は削る鉄の性質に合わせて自分でそのバイトを作ることから仕事を始めたそうです。やがてバイトを専門に作るメーカーができると、旋盤工はそのバイトを自分で加工したり研いだりして使いやすくしていた、と。さらに時代が進むと既製のバイトがある程度細分化し、旋盤工はそれを選んで使うだけで加工したり研いだりすることはなくなり、現在ではバイトはほぼすべて使い捨てだそうです。

そして、このような変遷の果てに非常に憂慮すべき状況が現在ものづくりの現場で起こっている、と筆者は語っています。
かつて旋盤工は設計図を見て必要なバイトを作っていた。だから、複雑で難しい設計図でも形にすることができた。けれども今は既製のバイトをそのまま使うことしかできない。そうすると、既製のバイトで形にすることができる物しか設計されない、ということが起こっている、というのがひとつ。
それから、バイトを専門に作るメーカーが、かつては自分達の作ったバイトを加工したり研いだりして使っている現場の旋盤工から“自分達の製品をどういう風に改良すればよいか”というフィードバックを得ることができたけれど、今では既製の使い捨てバイトしか知らない旋盤工が圧倒的に多く、そういうフィードバックが得られない。だから、自分達の製品をどういう風に改良すればよいのか分からなくなっている、というのがもうひとつ。

この話、障がい児者支援の現場にも通ずるのではないかと思います。

もちろん当事者はモノではありません。それは当然のこととして、ですが。

鉄を当事者、設計図を支援計画、旋盤工を支援者、バイトを支援の手法や制度、バイトメーカーを行政、と考えてみると。

かつて支援者は当事者が求める支援の手法を自ら作り出していた。そしてそれらが制度として行政の施策に吸い上げられていった。行政は現場からのフィードバックを得ながら制度をブラッシュアップしていった。けれど、やがて制度があることが当たり前の時代が来て、支援者は既存の制度を当事者のニーズに当てはめることしかできなくなり、、行政はどのような制度が必要とされているのか(これから必要とされてゆくのか)という見通しを失い、既存の制度やサービスを前提とした支援計画しか作られなくなる。こうして、当事者が自分の暮らしを制度やサービスに合わせなければならなくなっている。

どうでしょう。

なんか、ドキッとする話です。

鉄の性質はその成分や製錬の方法によって硬度も加工しやすさも千差万別だそうです。けれど、そこにどれだけのバリエーションがあろうとも、人が生きるという営みの多様さとは比べるべくもありません。自分でバイトを作ることができる支援者であることが、今ほど現場に求められている時代はないのかもしれません。
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