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7月26日という日 [所長の部屋]

今日は7月26日。『津久井やまゆり園事件』があった日です。

毎年、この時期になるとインターネットを中心にこの事件に関連した記事や考察が見られます。今年も、様々な文章を読むことが出来ます。

わたくしが現時点で最も強い印象を受けたのは
「生産性」の呪いに抗うために←クリックするとリンクが開きます
というもの。
最後の一文

どんな基準であっても「生きること」への線引きは、拒絶する。ただ「殺すな、生きさせろ」と、いかなる時代も言い続けること。その上で、先に述べたような短期的・実務的な土俵でも、偏見をはがす反例を示していくこと。そんな2層構造のアクションを続けていくことが、生産性の呪いに抗うための、地味で、長期戦で、しかし唯一実効性のある戦いなのだと思います。

というところ、ホントそうだよな、と思います。“生まれたからには生きてやる”というブルーハーツの詩と重なります。


メディアを見ていて、ひとつ気になること。目にする記事のなかには事件を起こした被告の近況に触れたものが多くあります。彼が依然として事件を起こす動機となった人間観を維持しているということが書かれているわけですが、それを書くなら、その人間観がいかに誤っているのかというのを記事のなかできちんと触れて欲しいのです。もしかしたら記者さんにとってはそれが誤っているというのは改めて文字にするまでもなく自明のことかもしれないけど、この場合においてはやっぱり誤りは誤りときちんとはっきり明確に書くべきだと思うのです。事件直後に時の総理大臣がお悔やみとお見舞いばっかりで“差別は許さない”と一度も言わなかったような社会ですから。

もうひとつに言えば、被告の名前を表記したり写真を掲載したりするのはやめて欲しい。ニュージーランドでムスリムを狙ったテロがあったときに、首相が“男はこのテロ行為を通じて色々なことを手に入れようとした。そのひとつが、悪名だ。あの男は悪名をはせようとしたのかもしれないが、我々ニュージーランド人は彼に何ひとつ与えない。名前さえも。私が言及するとき、あの男は無名のままで終る。”というようなことを言ったそうです。テレビ報道でも顔にモザイクがかかっていたとか。名前とか顔とかって容易に象徴化してしまう。そういう記号は作るべきでないと思うのです。

なんとも、いろいろ考えることの多い日付です。


*テロの件、首相っていうのは日本のではなくてニュージーランドの、です。世界で初めて首相在任中に産休を取得したことで有名、ググってみたら奇しくも本日お誕生日で39歳とのこと。



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