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無意識 [所長の部屋]

毎度の枕ですが、今年はコロナであれもこれも様変わり。戸塚区内の障害福祉関係の有象無象の集まりである地域自立支援協議会の活動も思うようにできず。例年は大きな会場にたくさんの人が集まっていろんなテーマで勉強する全体会も、今年はリモート開催でした。で、リモートなりに学びの場にしようということでテーマは虐待防止。そしてなぜかわたくしが講師を仰せつかりました。

わたくしがお話ししたのは、要するに支援者って思い込みや無意識や無自覚に支配されがちでほんと危ういからいつも自分で自分を点検しなきゃねっていう内容でした。

で、

自分の言いたい事って自分ではなんとなく掴んでるんだけど、それを共有可能な言語で表現して(言語表現が共有可能かという哲学的な問いはひとまず措きます)、受け取ってもらって、あわよくば共感していただいてなんて、まあまあむずかしい。おせっかいなことに見逃し配信的な動画になっていて、それを見て自分でガッカリしたりして。

それが一か月ぐらい前のこと。

そして今日、仕事前にスマホをいじくってたら遭遇した、とあるお医者さんのブログ。

脳だけが旅をする『病理の話(512) 無意識に差別してしまうことがある』←クリックするとリンクが開きます

『そういう目線(中略)から自由であるためにはたぶん言語化が必要だ。「自分が今、差別的な心象を抱えている」ということを自覚してはじめて修正できる』

もうホントその通り。こういうことをこういう風に伝えたかったんです、わたくしも。JAFのガテンなおっさんはタバコ吸ってるに決まってるっていう思い込みとか、笑えて頷けるたとえ話を引用したりして。

このことについてわたくしなりに付け加えれば、「自分が今、差別的な心象を抱えている」ということを言語化するためには「自分は差別的な心象を抱え得る人間である」という自認が前提として必要で、この前提に立つのがまた当たり前なようで難しい。難しいんだけど、ちゃんとそこに立たないと、だれもがやまゆり園事件の犯人になり得てしまう。その怖さを『支援者』はちゃんとわかっていなきゃなってことです。

ほかにも引用したいところだらけで、全文コピペしちゃう勢いです。

ぜひ上記リンクから読んでください。
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